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歴史に触れる

2018.09.15

安全衛生管理徹底大会や月例の安全教育は草加市谷塚にある谷塚トレーディングセンターの会議室で行なわれております。

会議室には壁に無数の表彰状が飾られております。その中からちょっと興味深いものを見つけました。

 

 

元方事業者の大成建設株式会社さんの作業所より所長名で表彰されたもののようです。
安全協力賞いただけたのですね。素晴らしいではありませんか。

記念品を添えて、の文言に俄然興味が沸きますね。なにが添えられてたんだろ。おいしいのかな。

昭和46年だって。とっても古いですね。ちなみに今この新着情報を書いている事務屋さんと同い年です。

おかしいな、事務屋さんは若いつもりなんですけどね。

 

竹平町ビルヂング(仮称)

 

なんだそりゃ。どこにあったどんな建物だろ・・・
この新着情報を書いている事務屋さんは町歩きや昔の古い地名が大好きなので心あたりがありました。
古くさいとか、おまえほどツマラナイ人間は初めて見たとか言われ続けておりますが、こんなことでは役に立ちます。
竹平町とは千代田区にあった旧町名で昭和45年1月1日の住居表示の実施により大手町一丁目、一ツ橋一丁目、九段南一丁目にそれぞれ組み込まれて消滅しました。
なので建物が竣工した昭和46年には竹平町という町はなくなっていたわけです。
もとより竹平町ビルヂングとは仮称であって竣工後は別の名前がつけられることになっていたわけですから、竹平町がなくなったところで、わざわざ例えば大手町一丁目ビルヂングにプロジェクト名を変えたりはしないでしょうね。いろいろと面倒くさくなるだけでしょうし。
でも、携わっていた人はどんな心もちだったのでしょう。計画したときに竹平町だったものが竣工の時には町がなくなっちゃってるんですから。「アレ・・・」って感じだったんですかね。もっとも住居表示は当時粛々と実施され、江戸期より存続している洒落た名前のものも含めて23区内の町名の約8割をドラスティックに消滅に追い込んでいたので、当時の人は「またですか・・・今度はここですか」って感じで極めて機械的にビジネスライクに受け取ってお終いだったんですかね。
この新着情報を書いている事務屋さんは、母親が生まれた根津宮永町とか自分が育った伊興町谷下とか古い地名が大好きななので、こんなふうに手がけているものの所在する町が消えてしまうことに遭遇したら思い切り色めき立つでしょうし、一生の思い出にしてしまうことでしょう。まあ、千代田区が再び麹町区と神田区に戻ることなんてゼッタイ無いでしょうから、そんな機会は永久に失われているわけですが。

 

竹平町を古い地図で確かめてみました。こんなです。

この地図勝手に載っけて大丈夫かな。まあ怒られたら消せばよいか。

まさか一億円いだだきます、なんて言われないよね。せめて一千円ぐらいで勘弁してください。
それにしても単純明快で純日本的な良い名前だ。竹橋と平川門に囲まれた一帯だから竹平町なんでしょうね。

 

脱線が大概になり申し訳ございません。

さて、竹平町ビルヂングとは?

このホームページの施工事例にもちゃんと載っております。

 

丸紅ビル

 

毎日新聞社さんのパレスサイドビルと気象庁の間に位置しておりました。

この建物です。

 

このビルには事務屋さんも多少の思い出があります。
事務屋さんが金子建設工業に入社したとき丸の内分室に配属されたのですが、その頃丸紅ビルは大成さんの丸の内地区建築工事作業所でメンテナンスをしておりました。
それが丸の内地区建築工事から手離れることとなり、当時の工事部長のお使いでうかがったのです。
名高い総合商社の丸紅さんの本社ビルですから近寄りがたいエリートさんが闊歩しております。受付のおじさんに「大成です」とお声掛けして中に入りましたが場違いなことこの上なく背中がかゆいことかゆいこと。
エレベーターでかなり上がり、退去ということで造作が解体され機能がすでになくなった大成建設丸紅ビル改修工事の事務所(であった場所)を訪ねました。
初老の監督さんがおひとりで残られており、なぜか気があって小一時間ほどお話させていただきました。

入社したばかりなことを申し上げると「頑張って」と仰ってくださった声が今も耳に残っています。
金田さん。ワタクシ頑張っております。

 

脱線がますます大概になり本当に申し訳ございません。

 

さて、残念ながら丸紅ビルはもう存在しません。

施工事例にも書いておきましたが平成29年に解体工事が完了しました。
当社はその解体工事にも参画させていただきました。先輩方が建て、そしてメンテナンスをした建物を解体するというのは少々もの悲しさを感じます。
しかし、建物には寿命があります。失くなり、また建てられる。その繰り返しで街はこしらえられていくのです。
解体後は22階建ての大きな建物の新築工事が始まっており、嬉しいことに施工させていただく機会を得ております。
現在は地下工事の段階ですが、来年初めより地上の鉄骨建方をバリバリと行なう予定です。

ひとつの場所に建物をこしらえ、そして解体し、さらに新しい建物を建てる。その全てに参加させていただけるなんて嬉しいことですよね。巡り会わせとか運命とか、そんな大げさな言葉を使いたくなってしまいます。

いま建てている建物の仮称には当然ながら竹平町の名は冠されず、大手町1-4-2計画とされております。
今度の建物が何十年頑張ってくださるのかは勿論いまは神様ですらご存じないことでしょうが、前の建物とあわせれば100年の月日になるのではないでしょうか。
金子建設工業の職人さんが施工に参加した建物が大手町の地に100年建ちつづけることを考えると、なにかしら不思議な感覚に陥ります。目を閉じて時の流れを感じようと心を開けば、大手町の街路樹のイチョウの葉が風になびいてはたはたと鳴る音が聞こえてくるような、とても暖かい不思議な感覚です。
40年以上前に竹平町ビルヂングを施工した職人さんも、現在大手町1-4-2計画に参加している職人さんも同じ金子建設工業の職人さんです。
もちろん互いに顔をあわせたことなどありませんが同じ金子建設工業の職人さんです。
伝統や技術は脈々と受け継がれていくものであることを肌で感じます。

今の時代のわれわれはシッカリと次の世代にバトンを受け渡していかなくてはなりません。

 

ひとつの表彰状から会社の歴史に触れ、そして現在を考える良い機会を得ることができました。
今度の大手町1-4-2計画の作業所でも竣工時に表彰していただけるような仕事をしたいものです。

 

せっかくなので、現在の大手町1-4-2計画作業所の施工風景を載せておきましょう
7月に行なわれた0節の鉄骨建方です。

 

  

 

 

 

※関連する豆知識
①当社最古参の鶴ヶ崎敏美さんは竹平町ビル新築工事と大手町1-4-2計画の双方の施工に携っています。

②竹平町ビル新築工事には当時高校生だった社長がアルバイトで仕事をしたという都市伝説があります。