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金子建設工業のある町(つづき)

2018.10.27

 

「金子建設工業がある町」と題して足立区東伊興を歩いておりましたところお腹が減ったので中断しておりましたが、お陰さまで飼い猫が残して放置されていた猫マンマにありつくことができました。

お腹がいっぱいになったので続きを載せることとしましょう。

 

 

白旗塚古墳より西に向かって歩いて尾竹橋通りにぶつかるところが伊興寺町の入口です。

グーグルマップを拡大していただくとよく判りますが、旧伊興町狭間の一角には本当にお寺が多くあります。

なぜかと申しますと関東大震災で罹災した浅草區や本所區のお寺が移転してきたからです。震災後の帝都復興計画のなか区画整理が実施され東京市は郊外地への移転を奨励したそうです。

とはいえ歴史ある浅草のお寺が当時は東京市外だった東京府南足立郡伊興村字狭間をよくぞ選んでくださいましたね。お陰さまで日々楽しく町歩きができております。ありがとう。

低湿地の浅草と比べて伊興は土地の標高が高い、墓地移転に際して必要だった特別納骨堂を建設するのに土地が確保しやすかったなどが理由とされております。ハッキリ申し上げるとイナカだったからってことですね。

 

寺町に入ってみましょう。キンモクセイの花が咲き始め良い香りです。

 

 

本当はお堂を並べる全寺院を訪ねたいところですが、またお腹が減ってしまいますので今回は端折ってあるきましょう。

キンモクセイの香りとまだ咲いているサルスベリの紅を楽しみながら歩けば東陽寺さんに着きました。

ここには塩原太助のお墓があります。

 

「上州沼田に生まれ、江戸に上り、炭のはかり売りから業を興して莫大な財産を築き『塩原太助一代記』として講談や歌舞伎で知られる」

 

と看板にありましたが若者は知らないかもね。

ここでは「上州沼田」がキーワードです。金子建設工業の創業者である亡くなった会長の出身地でございます。

これは重要ですね。社員のみなさん、次の試験に出しますからね。ちゃんとおさえておくように。

志を立てて努力の末に成功する人が多いんですかね、沼田って。塩原太助と会長しかサンプルがないのですが。

ご存知の方は教えてください。

 

また江戸期の歌学者戸田茂睡の歌碑があります。

「風の音 苔の雫も 天地の 絶えぬ御法の 手向けにはして」

息子さんを亡くしたときに詠んだ追悼歌だそうです。

ほかに江戸初期の政商河村瑞賢のお墓があります。日本史の授業で覚えさせられる「東廻り航路」「西廻り航路」を開いた人でしょ。

ネットで調べると建長寺にお墓があるとされています。

これについてですが

 

「明治44年に朝廷より瑞賢の功績を追美して正五位を贈られました時は、策命使が東陽寺にある墓に対して発せられています」

「瑞賢の頃も今もずっと河村家は東陽寺を菩提寺として檀家の契りを結んでおります」

 

と東陽寺さんは所縁を述べられており、追憶碑が境内に拵えられております。

 

   

  

  

 ←これは江戸東京博物館の展示です

 

 

東陽寺さんのお隣は易行院です。

古い地元民はみんな知っておりますが五代目三遊亭圓楽師匠のご実家です。腹黒キャラクターで売っている今の圓楽さんではないですよ。前の顔が長い圓楽さんです。

それ以上に古い地元民がみんな知っているのが花川戸助六のお墓があることです。

歌舞伎宗家市川團十郎の当たり狂言であまりにも有名ですが、助六ってホントにいたのかよ…

ここで『別冊歴史読本 江戸人物ものしり事典』(新人物往来社)を開きます。

「江戸のアウトロー30人」の中に載っておりました。

 

「花川戸助六

モデルはあるが架空の人物。しかし墓は足立区東伊興町の易行院にある。」(281ページ)

 

架空だけど墓があるってどういうことだろ。

 

「易行院の墓は、芝居にあやかって建てられたといわれている。」(同じく281ページ)

 

なるほどね。

七代目市川團十郎が200年ほど前に建てたそうです。

助六だけでなく、ちゃんと奥さんの揚巻のお墓もあるのでお参りすると夫婦円満、結婚成就にとてもご利益があるとのこと。

少しばかり状況のマズい方はいますぐ易行院に詣でることをおすすめいたします。

 

 

 

  ←これは江戸東京博物館の展示です 

 

 

墓所の一番奥に圓楽師匠のお墓があります。このお墓ご生前それもかなり以前に建てられていたはずです。

子どものときに見たことあるもの。その頃はたしか「嗚呼名人円楽の墓」だったかな、すごく大層な墓石の記述だった記憶があります。夢でも見てたのかな…

現在のお墓は「円楽の墓」といたってシンプルですね。

 

 

易行院のお向かいが常福寺さんです。

ここに眠る著名人は…

 

 

海老名家?

そう、林家三平師匠です。

 

 

昭和の爆笑王といわれている方ですが、この新着情報を書いている事務屋さんは若いので世代的に知りません。

頭に手当てて「どうもすいません」って言ってるイメージしかないです。

 

 

          どうもすいません

 

 

 

このように伊興寺町は芸事や噺家さんにも縁がございます。

その道めざして励んでいる方は出世につながるかもしれません。訪ねてみるとよいでしょう。

もし大願が叶わなかったとしてもワタクシのせいではありませんので訴えないでくださいね。

 

蓮念寺さんを左に見ながら寺町を抜けて右折すると伊興遺跡公園が見えてきます。

 

 

ここは昔は野原でした。

「遺跡発掘予定地」だったかな、そんな記述がされた看板がありましたが普通に入れましたし、子どもたちは遊んでおりました。

それが平成になったばかりの頃に発掘調査が始まって入れなくなっちゃったんですよね。さらに何年かして小さいながらも博物館施設まである遺跡公園が完成しました。

大学時代に博物館学を選択していたのですが、教授から「伊興に住んでるんだよね」と聞かれて「いま施設整備してますね」と喋った記憶がございます。

その頃は大学の先生は全能の神のように森羅万象すべてをお見通しなほど凄い方々だと信じており、「あれ?先生知らないですか?」と口走ってしまって凄く嫌な顔をされたのが非常に印象に残っております。

亀井先生すみませんでした。現在も相変わらず一言多くて人様を不快にさせる人生を送っております。

 

 

 

伊興遺跡は区内最大の遺跡で、都内でもまれな古墳時代の祭祀遺跡です。

金子建設工業の北側を流れている毛長川は現在は小さくてお世辞にも良い景観ではないのですが古墳時代には大河でした。

そのころ東京湾の海岸線は毛長川付近にあり、伊興は大河の河口の集落として西国との交流の中心的な役割を担っていたようです。

栄えてたんですね。だから白旗塚のような古墳ができたのでしょうね。

おそらくそのころだったら原宿や渋谷に勝ってたな。今じゃ比較対象になりませんが…

 

発掘調査などで出土した土器や木製品、石製品などがたくさん展示されていて遺跡を身近に感じられます。区内の小学校も社会科見学で利用しているようですね。

竪穴式住居のレプリカもあります。残念ながらこれでもかというぐらい思いっきりレプリカなんですよね、樹脂製の。

代々木八幡遺跡みたいに藁ぶきで再現してくれたら良かったのに。

うちの副社長だったら造れそうな気がするので足立区に売り込んでみようかな。

 

      

左が伊興遺跡の竪穴式住居、右が代々木八幡遺跡の。リアルに負けてるわ。

 

個人的に伊興遺跡は広範囲で発掘調査したらスゴイもの出てくるんじゃないかと考えております。

平成8年に出土し東京都の文化財に指定された騎馬木簡ぐらいのものがごろごろ発掘されるのではないでしょうか。

でも住宅地になっちゃったからねぇ。

土地全部買い占めて自分で掘れば良いんだろうけど一生ムリですね。

 

遺跡公園のまん前が伊興氷川神社です。

 

 

 

足立区には氷川神社が数えきれないほどありますが、この伊興氷川神社が最古だそうです。

渕之宮の別名を有しており、往古は足立郡渕江領の総鎮守でした。

今はむかし舟運の要衝だった頃、このあたりは流れが澱んだ湿地帯で船で往来していたことから渕の字が充てられたとのこと。さらには一帯が渕江領とされることになったそうです。

渕江領とはおおむね舎人・入谷・古千谷と柳原をのぞく足立区のすべてが該当します。

40を超える村々の総鎮守とは結構なものですよ。

そのころだったら千住に勝ってたな。今じゃ比較の対象になりませんが…

 

社殿は実は古墳の上に建てられているようです。

土台となった円墳からは、副葬品と思われる鏡などの古墳特有の祭祀遺物が発見されたそうですから。今の社殿が築かれたときに円墳は崩されてしまったようですね。

かつての総鎮守ということで渕之宮は足立区登録記念物となっておりますが、社叢が足立区の保存樹林となっています。

この新着情報を書いている事務屋さんはあまりにも適当な人間で非常に鈍感なのですが、肉体労働でなく精神労働ですから偶には人並みに煮詰まるときがあるわけで、マイナスイオンを浴びて和みたいときは昼休みに足を運びます。

大きな木が多くセミが高いところにとまるので、かつてのセミ取り少年はここを避けて寺町の中を虫取り網持って駆けずりまわっており神社の叢はあまり好きではなかったのですが今では大好きな場所です。

 

  

 

 

ご覧のとおり9月29日が大祭日です。

なので幟が立っております。普段は見られない一年に一度の風景ですよ。

 

     

 

2回に渡る記事となった「金子建設工業のある町」に訪ねた史跡などは9月28日のお昼休みにまわったもので、神社の新緑など一部の写真を除いてはすべてそのお昼休みの撮影です。

地元の人間なので1時間以内でまわれるわけですが、ご存じない方でも半日程度でまわることができると存じます。

もし興味があればお散歩と洒落こんでみてはいかがでしょうか。

その際には金子建設工業には寄らないほうが良いですね。

碌なおもてなしができませんので。

 

 

 

※オマケ

9月29日の神社の例大祭の様子です。

30年以上地元に住んでますが初めて拝見いたしました。

社殿に入ったのも初めてかもしれません。

 

 

 

 

 

算額があったのは驚きでした。